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東京・日本橋はかつて魚河岸があり、関東大震災で焼失し築地に移るまでの三百余年、江戸の台所として賑わっていました。その当時、鮫のヒレは幕府の重要な輸出品で、 そのヒレを取った残りの鮫を利用して、半ぺんを造り始めました。
創始者が関西方面の神崎というところの出身だったので 、江戸時代には「神崎屋」という屋号を使っていましたが、代々神崎屋茂三郎を襲名するようになり、 明治に入り「神茂」という屋号に改めました。
屋号は変わっても、半ぺんや蒲鉾ひとすじに精進してきた伝統の味わいの評判は変らず、東京自慢名物会の木版画にも 「魚市場神茂」と題して、詠われております。
名物と世にめでられて昔より変わらぬ味の月の蒲鉾
「商売はあまりおおきくしてはいけないよ。 大きくするとどうしても目が行き届かなくなる。食べ物は一度まずいものを売って評判を落としたら、 二番が続かない。また買いに来ていただけるように、ていねいにいい品を造ることがいちばん大事なんだよ」
こうした先人の言葉が、神茂320年の伝統を支えています。
- 始祖
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二代
神崎屋長右衛門 1661年
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三代
神崎屋六右衛門 1674年
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四代
神崎屋長右衛門 1682年
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五代
神崎屋新右衛門 1683年
当時、日本橋魚市場で売買された鮫を使い蒲鉾の技術で半ぺんを製造 -
六代
神崎屋長右衛門 1716年
- 七代
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八代
神崎屋長右衛門 1745年
- 九代
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十代
神崎屋長右衛門 1769年
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十一代
神崎屋長右衛門 1786年
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十二代
神崎屋長右衛門 1819年
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後改め
神崎屋茂三郎 1819年
明治維新 1867年 明治天皇即位 - 十三代
- 十四代
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十五代
井上茂三郎
1926年 昭和天皇即位 戦時下統制により一時商売中断 -
十六代
井上茂三郎
終戦後 商売再開 - 十七代
- 十八代